2009年12月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

オンライン状態

無料ブログはココログ

カテゴリー「芸術」の15件の投稿

2009年1月 8日 (木)

中村恭子日本画作品展

 

1月8日から12日まで、

世界のらん展2009」において中村恭子さんの

日本画作品展が開催されます。

彼女の作品は観る人に与える力、気持、感情は

とても幅広いものがあります。

また、太古から現在そして未来へと通じる何か?

を考えさせてくれます。

中村さんのホームページより
 
この度、第48回全日本蘭協会洋らん展「サンシャインシ

ティ世界のらん展2009」において中村恭子日本画作品展を

開催いたします。本作者はランを中心に植物の世界への

論理を用いて生き物の創造性あるいは発生プロセスを

研究しています。

植物を描くことで世界を裏返すという実験的な制作を、

何卒ご高覧の程宜しくお願い申し上げます。

会期:2009年1月8日(木)-1月12日(月)
主催:全日本蘭協会(AJOS)
会場 :池袋サンシャインシティ(コンベンションセンター)

文化会館2階
〒170-8630 東京都豊島区東池袋3-1
http://www.sunshinecity.co.jp/

開館時間:10:00~18:00(最終日16:00まで)
休館日:無休
観覧料:無料
URL:http://www.orchid.or.jp/orchid/society/ajos/08suns...

2008年10月 3日 (金)

日本画家 中村恭子 その5

 すべては「とける」事から始まると思います。

思想も、政治も、情念も、そして生物体そのもの

の構造も。もちろん地球から宇宙全体も。

溶けたり、融けたり、熔けたり・・・して次の

ステージへと進みます。

中村さんのおっしゃる「共進」の原点はここ

にあるのではないでしょうか。

「あれかこれかではなく、「あれもこれも」と

許容への時代へと進まなければならいと。

私は二人の日本画家から強烈なメッセージを

頂きました。

そういえば、宮沢俊義著「憲法講話」の中に

『・・・多くの神々の共存、したがってさまざま

正義の共存を認めようというのです。・・・』

「さまざまな正義」を「ランとシタバチ」と置き

換えられろと思います。

まず共存、そしてそれから共進への道を。

しかし現実は。

共存の手がかりすらありませんね。

日本画家 中村恭子 その4

 現在私の頭の中には松井冬子さんの画と

中村恭子さんの画が同居しています。

お二人の画は全くの対極にあるのです。

松井さんの画は「停止・衰退・枯渇・死」を

中村さんの画は「前進・繁栄・潤沢・生」と

全く正反対のイメージを包含していると思い

ます。

では二人は一体なぜ、何のため描くのか。

もちろん二人には二人の描く理由があると

思います。そんなの他人にとやかく言われる

筋合いはないでしょう。

しかし、今私が気付いた事は、時代の空気を

敏感に感じているからだと思います。

何がどうと言ったものではなく、空気なのです。

小林秀雄は「人形」という文章の中で、

列車の食堂車で隣に座った若い女性の

ちょっとした行動に対して、「若い女性の持つ

鋭敏」と表現しています。

その鋭敏の意味が何十年もわからずにいました。

確かに頭では理解出来てはいましたが、表面上

の理解だけでずっとしっくりしませんでした。

しかし、松井さんと中村さんの全く相対する

内容の画が、若い女性のもつ鋭敏の意味を

教えてくれました。

2008年10月 2日 (木)

日本画家 中村恭子 その3

 「進化」と言う言葉の解釈に対して、これほどこだ

わった人は初めてです。私が今まで「進化」につい

て、語り合ったり、論じ合った人達は理系に属する

人達でした。理系の人間は言葉の最初の意味や

定義を同じところに設定します。言葉は単位の

ようなものなのです。1gという質量は地球上どこ

でも同じと考えますよね。もちろん宇宙でも。

自然科学はいつでも、どこでも、誰にでも

通用しないといけませんから当然ですね。

最初のところはある意味、実に頭が硬いのです。

一方、中村さんは実に発想、解釈が柔らかいの

です。芸術家ですから独創的な思考が根底に

あるのかもしれません。外界から入る情報に

対して、彼女なりに消化、吸収してそれを出力

する。それが文章であったり、画であったり。

言葉一つを、自分の考えに忠実に大切に

されている彼女の姿勢に脱帽しました。

 実は彼女のメールを確認したその日のに、

二人の法律専門家と、大麻取締法における

「所持と使用」について話をして「所持」と言う

普段何気なく使っている言葉も、状況などに

よっていろいろな解釈をする事が出来るのだ

と深く感じてたのです。

たった一日の昼間は法律家、夜は芸術家の

方々に言葉の意味、解釈、その利用・・・・と

深く、深く考えさせられました。

 最近の私にとって、久しぶりに頭が活性化

した一日でした。

2008年10月 1日 (水)

日本画家 中村恭子 その2

 「進化」という言葉が何度彼女の口から放たれた

でしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 進化についての私の記述が彼女の考えと

 違っておりました。

 現在訂正した文章を考慮中です。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 彼女から頂いた文章です。

 『ランとか虫とか、それ自体ではなく、「背景」

 によって進化は起こるのだと考えています。

 環境が共進させるのだと感じます。』

 そのうち彼女の口からはベーコンなどが登場

し、私は思わず、フランシスですか?などと

ばかな質問をしてしまいました。まさか、日本

画家の口からイドラのベーコンについて語られ

るなんて。その時の話は、全く哲学者のもので

ありました。

話は進化、共生から寄生へと移りました。

私は「冬虫夏草」についてはどう考えていらっ

しゃいますか?と質問しました。

実は「冬虫夏草」については漢方薬の原料と

して成分、薬効などについて勉強していますし、

実際に販売もしているので、少しは対等な会話

になると思ったので。

すると彼女は冬虫夏草について一通り述べた

後で、「冬虫夏草の画は随分描きました。

山に採りにも行きました。」とさらっとおっしゃる

のです。

私は冬虫夏草の画を描いた事も、山に採りに

行った事もありません。それなのにわかった気

になっていました。知る(識る)という事の深さを

中村さんに教えられました。

9月28日まで中村さんの画は展示されています。

詳しくは

http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2008/ichiken2008/ichiken2008_ja.htm

 そういえば「カムイ伝」か「カムイ外伝」に冬虫夏草の

 忍者が登場していました。

2008年9月24日 (水)

日本画家 中村恭子 その1

 悲母観音様に別れを告げて、(心の中で次は

いつお会い出来るでしょうかと思いつつ)会場を

後にしました。

すると前回は閉まっていた展示室で、日本画の

展示がされていました。

ざっと一覧して、一番気になったのが画ではなく

なんと「ランの解剖学」とタイトルの付けられた

文章でした。

『描く、というのは単に目前にあるものを自己の

うちに写しとる鏡のようなことではありません。

例えばあるランの花の、内にある秘密や原因を

あばいて、その生命を見極め、さらにその一つ

の花から無限に複雑な存在の可能性を見出す

こと、なのです。・・・・・・・』

 (この文章はまだまだ続きます。もしご本人の

承諾が得られれば、全文を紹介したいと思い

ます。)

 この文章を読んでからもう一度その方の描か

画を観ているとわかってくるのです。

ものすごいエネルギーで満ち充ちています。

その画から今日は何か力をもらいました。

展示室を後にして、少し歩いていると、その画に

ついて気になる事が浮かんできました。

戻って受付の方に「画について質問があるの

ですがよろしいですか?」と言うと、快く引き受け

て下いました。

 画の所に行き、質問を始めると、

「あっ、その画の事でしたら、丁度本人が今おり

ますから直接聞いて下さい。」

ともう一度受け付けに戻り、その画の作者に

お会いしたのです。

 一緒に画の所に行き質問をしました。

すると私の質問に対して、10倍いや100倍位の

返答がされたのです。

久しぶりにパワーあふれる方にお会いしました。

私はどんどん質問しました。

「狩野芳崖 悲母観音への軌跡」展 その2

 23日再び悲母観音様にお会いしてきました。

なぜもう一度かと言いますと次のような理由が

あったのです。

 悲母観音の絵葉書を知人に見せたところ、

「こわいです。私には○○さんいます。どうみても

辛いです。」との言葉が返ってきました。

申し訳ない事をしてしまいました。

私は芸術作品として、美しいものとして、気楽に

お見せしたのに。

その方は芸術作品としてではなく、本物の観音

様として、いや違います、宗教性を超えた実体験

からの深く悲しい想いを、この画に感じたのかも

しれません。

 その方への申し訳ない気持を何とかしたくて、

また、悲母観音様とそこに描かれている赤子

(胎児)さんに、今ま薄っぺらな見方しか出来

なかった事を謝るために・・・。

2008年9月15日 (月)

「狩野芳崖 悲母観音への軌跡」展 その1

 悲母観音にお会いしてきましたした。

松井冬子さんの番組で松井さんの上野さんとの

場面を見ていて、ふとこの狩野芳崖の「悲母観音」

思い出した時から、ずっとお会いしたいと思って

いました。

すると9月10日の朝日新聞で、上野の東京芸術

大学大学美術館で悲母観音が展示されている事

を知りました。

やっと時間を作り上野に行きました。

お会いするのは二十数年ぶりです。

今回は芳崖の初期の作品も多数展示されて

おりました。

まるでそれらの作品がすべて悲母観音を描く

為に存在しているかのように思えました。

この展示会企画者の古田亮氏の悲母観音に

対する深い思いが感じられる展示でした。

私には観音様というより、マリア様という

イメージが離れません。

もちろん、子宮を連想させる透明な球体中の

赤ちゃんキリストです。

こんなこと言うと、仏教徒からもキリスト教徒

からも叱られてしまうかもしれませんね。

でも私には・・・。

そういえば長崎にはマリア観音様もおられます

よね。

芳崖に影響を与えたとされるフェノロサは

カトリッック、それともプロテスタントのどちら

だったのでしょうか。

9月23日まで開催されています。

16日は休みです。

10月4日からは下関市立美術館で開催

されます。

2008年8月 6日 (水)

「痛みが美に変わるとき」再放送

 8月12日(火)朝6:00からNHKワールドプレミ

アムという番組で松井冬子さんの

「痛みが美に変わる時」という番組が放送されます。

もしまだご覧になっておりませんでしたら、是非

ご覧下さい。

この半年で4回目の放送になります。

かなり反響が大きいのでしょうね。

2008年7月19日 (土)

松井冬子の世界 再放送

 本日19日深夜2時30分(20日午前2時30分)

より、NHK 1chにて「松井冬子の世界」が

再放送されます。

なかなかの番組です。

私の松井さんの事を書いた記事を読まれてから

見るとより、考える事が出来ると思います。

2008年7月16日 (水)

松井冬子の画は鏡

 松井冬子の画を見た人は目を背けるか、凝視

するか、そのどちらかだと思います。

目を背けるのも一つの立派な判断。

凝視すればそこから何かが始まります。

松井冬子は

「私を見て、私は内臓まであなたに見せたのよ。

では、あなたはどこまで自分を出せるの。」

どこまで出すかということは、どこまで隠すか

という事でもあります。

確かカーライルは衣装哲学でそんな事を考え

たのではなかったのではないでしょうか。

そんな風に考えてみると、松井冬子の画は

実にわかり易い一面を持っていると思います。

松井冬子の画を見るということは、

そこに反映している自分自身を見るという事

つまり、彼女の画を観る事によって、自分自身

のすべて(過去、現在、未来)を見詰め直す、

いや再確認するという事なのです。

2008年7月 9日 (水)

松井冬子と宮本武蔵

 松井冬子さんの夜盲症(Nyctalopia)というタイトルの

幽霊画が、誰かの立ち姿に似ているとずっと思ってい

ました。

成山画廊で初めて出会ってから三日目、深夜帰宅中、

公園の中を歩いていた時、突然頭に浮かびました。

右手に太刀、左手に少し長い脇差を持った両腕をだら

りと下げた、あの有名な宮本武蔵の自画像の立ち姿

です。

家に着くとすぐにその自画像を見ました。「構え無しの

構え」「無構の構え」と言われるように、構えていない

ようで実はものすごい構えなのです。

このように構えられたら、とても勝負する気にはなれ

ないでしょう。

一方夜盲症の幽霊は羽毛をむしられ皮も剥がされた

鶏を両手で持っています。

その鶏を太刀に変え、しかも刃先が上と考えると、

「逆八双の構え」しかもかなり腕が下がっています。

このような構え方をされても、やはりこわいです。

それと二人に共通しているのは、軸の数です。

すっと立っているので、最初、軸は一本のように

思えます。

しかし、じっくりいろいろな方向から眺めていると、

何と軸は無数に存在するのです。無数に存在する

という事は、逆に軸が存在しないと考える事も

出来るのです。

(今マイスキーのチェロの映像が流れています。

弦と弓の垂直に交差する軸のコントロールの

巧みさに驚かされます。)

それと二人の眼差し、目つき、眼光、眼力・・・

とてもとても深いです。

幽霊と剣の達人、なぜこれほどまでに共通す

ものがあるのでしょうか。

http://www.pref.kumamoto.jp/education/hinokuni/isan/siteijoukyou/2003.9.12/sihon.html

成山画廊

 7月5日九段の成山画廊に松井冬子さんの画を観に

行きました。階段を昇ると画廊の入り口には既に十数

名の方が並んでおりました。その日はとても暑く、並

でいるだけで、汗が流れました。やはり最終日だから

かなと思っていた時、どこからともなく、「暑い中お越し

いただまして、ありがとうございます。」

何と松井さんご本人が並んでいる人達に言葉をかけに

来て下さいました。

20分くらい待ったでしょうか。やっと画廊の中に

入ることが出来ました。

 まず最初に目に入ったのは、「夜盲症」というタイトルの

幽霊画です。左右にはほとんど枯れかけている百合の花

が左右に活けてありました。枯れかけているのが、演出

なのか、それとも偶然なのかわかりませんが、実にその

画を引き立てています。

美術館と違ってガラス越しでないので画の雰囲気が直接

伝わってきます。

とっさに誰かの立ち姿に似ていると思いましたが、その時

は画の細部に気持が移ってしまい、思い出せませんでし

た。

髪はきらきら輝いているようは気がしました。

画廊の奥の方に松井さんがいらっしゃったので、私の

書いた松井さんに関するブログをお渡ししました。

すべての作品を拝見して、帰ろうとしたところ、松井さん

が私のブログを読まれていました。すると私に気付き、

「最後のところが。」とおっしゃいました。

ラットの内臓を素手で触れるのは止めてくださいとの

一文です。納得して下さいました。

それからとおっしゃったので、私は「何か。」(まずい表現

でもありますか?)という気持を込めて言いました。

すると、「一瞬を永遠に近づけた」というようなことは、

今まで多くの評論家の方や、ご指導を受けている先生に

そのように言われた事もありません。また描いている

私自身も思った事もありません。」とおっしゃいました。

私などの絵画に関しての全くの素人に対して、最高の

褒め言葉ではないでしょうか。

そしてすぐ後に、上野千鶴子さんの事を、悲母、慈母

と表現した事について、何と上野さんに伝えますねとも

おっしゃいました。

あのNHKの番組を観た。画を見たくなった。ブログで

感想を書いた。成山画廊に来た。松井さんにお会いした。

ブログを読んで頂いた。感想をうかがった。

夢の中のような時間が流れました。

画廊を出てから九段下の駅の方へ歩いていったのです

が、今の心地よい気分をもっと持続したくて、武道館

入り口の縁石に座り込んでしまい、しばらくじっとして

いました。

 

2008年7月 3日 (木)

松井冬子 生と死の間を紡ぐ旅人

 松井冬子の画をもしジェンダー化された痛みを表現

していると考えるのであれば、私には画について語る

資格はない。

しかし普通の絵画と考えるのであれば、語ることが許

されると思う。

彼女の画にはよく内臓が描かれていて、衝撃的などと

言われます。しかしそのような画は医療系の学生で

あれば実習で描くのは必修です。多分松井さんよりも

ずっと正確に描くことが出来る学生はたくさんいるで

しょう。しかし彼女の画が見る人を圧倒するのはなぜ

でしょうか。

それは本来存在しない生と死の間に時間を与えた

からではないでしょうか。

生から死へと移る時時間は存在するかしないかは

わかりませんがあったとしても、多分一瞬と思います。

その一瞬を永遠に近づけたのが彼女の画なのです。

松井冬子の幽霊は生と死の間をさまよっています

よね。

そうだ幽霊そのものが、成仏出来ないで、この世と

あの世ととの間をさまよっているのでした。

それにしても、「ただちに穏やかになって眠りにおち」

の白象の目は、宮沢賢治の「オツベルと象の」白象の

目を連想させました。

http://matsuifuyuko.com/

http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html

2008年6月25日 (水)

日本画家 松井冬子

 6月21日にNHKで「痛みが美に変わる時~画家

松井冬子の世界~」という番組がありました。

4月の放送の時は後半の10分位しか見られなかった

ので、この再放送を楽しみにしていました。

しかしこの放送を最初から見ていて、何度目を背けた

くなったでしょうか。「度肝を抜く」というという言葉は

彼女の作品のような場面から生まれたのではないかと

思いました。

番組は新作の製作過程と上野千鶴子さんとの対談を

中心に作られています。上野さんは作品の解釈のみに

留まらず松井さんの心の中にすっと入り込みます。

個人の痛みが普遍化していくための苦しみをさぐって

いました

私は「ジェンダー化された痛み」は女性にしか理解

出来ないと思います。彼女の作品から、彼女の存在

すべてに対して、男なるものは批評、解釈してはいけ

ない、いや出来ないのではないかと思います。

番組は松井さんがぽろっと涙を流し、まず右手で右目

の涙をぬぐい、膝に下ろしたその右手に上野さんの手

がそっと置かれ、左手が左目の涙をぬぐう。

しかもその映像はすーっと遠景になりエンディングの

字幕が流れて終わります。

その時私は狩野芳崖の「悲母観音」を思い出しました。

上野さんが悲母いや慈母に思えました。

松井さんは上野さんと出会って本当によかったですね。

さすがNHKです。最近のNHKの芸術関係の番組は

最高の芸術家とその作品をただ紹介するだけではなく、

番組そのものが最高の芸術作品になっています。

吉行和子さんのナレーションは、このある意味どぎつい

番組に、しっとりとした安心で番組全体を包んでくれて

いました。

そういえば、芸大でラットの解剖をされていた時、素手

で内臓に触れていましたが、これは止めた方がいいと

思います。いくら実験用で無菌とはいえ、運搬中や飼育

中にどんな細菌やウイルスに感染してしまうかもしれま

せん。気を付けて下さい。