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カテゴリー「言葉」の4件の投稿

2008年3月15日 (土)

安全性と危険性

 安全性と危険性という言葉は全く逆の意味を

表す言葉ですよね。

では、よく耳にする次の表現について考えてみて

下さい。

「原子力発電所の安全性」という表現、これは

原発の安全な部分について表しているので

しょうか?

違いますよね。

原発が大丈夫か、危険ではないのか、

つまり原発の危険な部分が、どの程度危険では

いかという事、それを安全という逆の言葉で

言い換えているのです。

本来「原子力発電所の危険性」と表現しなければ

ならない事を安全という言葉を使用することに

よって、「原発は安全だ」と暗にほのめかして

いるのです。暗示にかけていると言ってもいい

でしょう。

このように考えると、

「航空機の安全性」は「航空機の危険性」

「医薬品の安全性」は「医薬品の危険性」

「自動車の安全性」は「自動車の危険性」

伝わってくるもの、雰囲気が全く違ってきません

か。

安全であれば何も起こらない、危険ではないの

ですから、敢えて論ずる必要はないのです。

 安全という言葉を使用するのは危険から、

目を逸らせるためではないでしょうか。

2008年3月 6日 (木)

~とか

 「 ~とか 」 という言葉が最近多用されて

いると思いませんか。

 私は政治家やアナウンサーなどの公的な方が、

公的な場所で使用している事が気になります。

「とか」はたくさんの意味を持っています。

「と+か」 または 「とやかく」がこの語の語源では

ないでしょうか。

もちろん 「AとB」と「AかB」 に使われている 

「と」と「か」が合わさって一語になったのでしょうが。

電車の中で若者が、「お前とかさー、おれとかが

やればいいんじゃない。」

ここでは「弱めるとか」、「自信のないとか」と考えら

れます。

「貴様とかおれとかは同期の桜」では

変ですし、何とも情けなくなります。

政治家や公的な立場の方が使う時は

「責任逃れのとか」になるでしょう。

スポーツ番組でアナウンサーが「A選手はタイトル

をとるために今まで経験したことがない位練習

しているとか。」

ここで使われている、「伝聞のとか」で本来の

使い方ではないでしょうか。

それからもう一つ。

さだまさしの「無縁坂」の中に 

「運がいいとか 悪いとか」という一節があります。

このとかは「情緒を与えるとか」、「詩的なとか」

と考えられます。

これはきれいな「とか」ですね。

この「とか」ように、ちょっとした言葉でも

たくさんの意味が考えられるので、

だれが、いつ、どのような状況で使用して

いるかを考えて、理解しないといけませんね。

使っている本人は、ほとんど何も考えないで

使っているでしょうから。

2008年3月 3日 (月)

譲生命等侯

 数年前、ビデオテープの品出しをするために、

その外箱を開けると、中国語で書かれた一枚の

段ボールが商品の上にはさまっていました。

 ビデオテープの工場で働いている中国の方が

休み時間に、その時の気持を一枚の段ボール

走り書きしたのだと思いました。意味はよくわかり

ませんが、その中に、「 勇気、生命 」などという

言葉があり、どうしても捨てられず取っておきました。

 最近、日本の大学院で日本語を研究されている

中国人留学生の方と知り合いになりました。

その方は言葉特に漢字を根本から考察しています。

その研究内容は実に興味深いものです。

その方と話している時に、あの段ボールの事を

思い出し、読んでもらうことになりました。

すると、そこに書かれていた内容は、中国で流行

した歌の歌詞で、タイトルは「譲生命等侯」

意味は直訳すると「生命を待たせなさい」で

その意味は

「努力すれば生きているうちに報われますよ」

とのことです。

素敵な内容でうれしくなりました。

ずっとその段ボールをとっていてよかった。

なんとその方が中国に行った時に、その歌の

CDを買ってきて下さるそうで、今から楽しみです。

でも、日本語の「石の上にも三年」よりも

譲生命・・・という表現は直情的で、

激しい感じがしますね。

2007年10月29日 (月)

めっちゃエエヤン

 最近尼崎出身の方が職場で働くようになりました。

店内では標準語で話されるのですが、休憩時間

中は地元の言葉で話をします。

私のロッカーにある、港の朝日の写真を見て

その方は「めっちゃエエヤン」と言いました。

私はものすごくほめられた気がしました。

「とてもよく撮れましたね。」などと言われるよりも、

ずっと心がこもっているような気がしました。

標準語はあくまで事実を伝えるだけで、そこに

感情をなかなか入れることは出来ません。

入れたとしても、よそよそしく感じます。

それに対して方言は生きていると思います。

言う人の心が、感情がちょっとした語尾や

アクセントに込められています。

そこに風土の歴史が生活がにじみ出ています。

実に人間味にあふれ、言葉自体が生きて

います。

これから何年経っても方言が残っていて

ほしいと思います。

「めっちゃエエヤン」は「めっちゃエエヤンケ」

 語尾の「ケ」は男言葉だそうです。